もう風営法なんて怖くない!!
風営法に強い行政書士が完全サポート
tel 06-6210-3084
大阪の風俗営業許可はお任せ下さい!
History of Fu ei hou. 1
風営法の歴史1
風営法の歴史
風営法の歴史と言っても、風俗ってそもそも何って所からスタートします。
このサイトでは、何度も風俗業と性風俗業は違うと言ってますが、歴史を考えると風俗業と性風俗業は切っても切れない関係であることは間違いありません。しかし、風俗の本来の意味は、「一定の社会集団に広く行われている生活上の様々な習わし、しきたり、風習」とされていることを頭に入れといて下さい。
風営法の歴史の始まり
現在の風営法は、日本国憲法が施行された1947年の2年後の1929年7月に制定され9月に施行されました。
戦前も風営法に代わる法律がありましたが、風俗とは、先ほども述べたように「一定の社会集団…」という意味だったので、国と言うよりも、それぞれの地域に合った規制を、各地域が行うという考え方でした。
現代では経済的な地域差は戦前よりも数段大きくなってきてますが、情報の地域差はインターネット、新聞、テレビなどで殆ど統一の物を共有することができることで差ほどありません。もちろん、その土地の習慣で驚かせられる事は沢山あるし、初めて故郷を離れた時のカルチャーショックも残ってますが、現代のように情報化社会でなかった近代、又はそれ以前では、風俗は国レベルでは規制できないから、地方に任すという考え方が強かったようです。なお、現在でも条例によってその地域にあった規制はされてます。
どの辺りまで掘り下げて風俗を考えるのか?
風俗本来の意味を理解したあとでは、人類の歴史があった時から、風俗はあったのだし、それに対する規制が、統治された国があれば、必ずあったであろうと思われます。法律であるか、地域のしきたりであるのかは別として。
そこで、規制の対象になる風俗とは何かを考えます。
・家で酒を飲んで楽しむことは問題ないけど、外で金を使って酒飲んで大騒ぎする事は醜い(飲む)
・ゲームをするのは、問題ないけど、金をかけて勝った負けたとやるのは醜いって感じでしょうか(打つ)
・男女間の恋愛は美しいけど、お金を払って男女間の関係を持つことは醜い(買う)
風営法は、「三大男の遊び」を規制しようという考えでした。これらの行為が社会に対する影響が大きいからです。影響とは、具体的には子供に対する悪影響のことです。
親は子供を立派に育てたいはずです。しかし、我が子が、大酒を飲み、ギャンブル依存症で女を買い漁ると聞いたら発狂するのでは?そういう影響力のあるものを、強い力で規制してほしいと考えるはずです。
この考えは過去にも未来にも永遠に続きます。つまり、風俗を規制する歴史は人類の歴史であると言っても過言ではありません。
しかし、人類の歴史を、風俗の歴史として話してたら、僕の一生が、それだけで終わってしまいます、しかも人類の歴史の序盤の話も出来ないまま…そんな詰まらない人生なんて嫌だーー!!
って事で、掘り下げるのは江戸時代からにしときます。
なぜ江戸時代からかと申しますと、やはりフーゾクが制度として確立されたのが江戸時代だと言われているからです。この頃、フーゾクは遊郭と呼ばれてました。遊郭の歴史はもっと古いので注意して下さいね(安土桃山時代くりから)。
時代劇を見ると遊郭で女性が男性を誘ってるシーンを見た事ありませんか?
歴史を知ると、時代劇って本当によく作られてるな~と思います。ちょっとだけイメージしながら聞いてみて下さい。
遊郭はなぜ作られたのか?
江戸時代から制度としての規制が、確立された遊郭設立の背景には、やはり、子供たちの健全な育成と言う考え方が大きかったようです。遊郭とは、「遊び」と「囲い」と言う意味です。つまり遊び場所を囲って外界から見えなくした場所という事です。中で何が行われてるか見えなくすることで、社会に対する影響を抑制したのでしょう。
遊郭の入り口は基本1つしかなく、女と子供の出入りは禁止されてました。そして遊郭の中で接待を行う女性は遊郭から出る事を禁止されてました。
当時、借金で売られていく女性が沢山いました。そういった女性が町で客引き売春をすることは社会に対して悪影響なので、幕府は売春を規制して取り締まるようになりました。しかし、借金を方に売られた女性は、やはり売春で稼ぐしかない。いくら規制して罰則を設けても、売春行為がなくなることはありませんでした。規制する側とのいたちごっこで、幕府は、あちらこちらを取り締まらなければならなく、コストがかかりすぎるので、売春が認められる地域を作ることによって、取り締まりを容易にしました。
売春行為は禁止され規制されてるけど、遊郭では認容されている。役人はこうすることで一定の権力を持つことができました。そして、その権力に対して、上手に商いをするために、商人は冥加金を支払いました。冥加金(ミョウガキン)とは、「免許の代償」って意味合いで、定期的に支払われる税みたいなものだと言われてますが、僕は賄賂だと考えます。役人も商人もウハウハだったのでしょうね。泣いてたのは売られた女性だけでしょうか??
役人にとっての利点は、売春の取締りがしやすい事、冥加金がもらえる事、それ以外にも罪人の検挙が容易になったと言う点があります。
罪人は、逃げ込む場所として遊郭を選ぶことが多かったようです。お金を払えば客として、しばらくの時間そこで過ごすことができるからです。そしてほとぼりが冷めたら遊郭から出ようって考えてたのでしょう。
そして、遊郭の一つしかない出入り口で、サクッとパクられたのでしょう。役人方が一枚上手ですね。
こういった経緯から、僕らがテレビでよく見る時代劇では遊郭で役人が罪人を探してるシーンがあるんでしょうね。って本当にそこまで考えてるかは知りませんが、それでも罪人は遊郭に集まるだろうという感覚は、罪人、役人そして現代人も一緒なんですね。
遊郭のおわり
明治維新って最高に楽しい歴史の一部ですよね。なんで歴史って、縄文時代からならんでしょうね?縄文式土器と弥生式土器の違いなんて、考古学者とか歴史の先生とか、又は興味のある学生とかだけが知ってればいいだけな気がします。縄文時代の時代劇なんて殆どないし。
それよりも日本が、どうやって設立されたのかを日本史で勉強するべきでは?因みに僕は高校の時に日本史を選択してましたが、成績は毎年1でした。10段階で1でした。。。3年の最後の試験はバックれました。なんで卒業できたのか不明です。先生から嫌われてたのが良く分かるw
さてさて、遊郭って江戸時代の産物ですが、明治維新が起きてもそのまま継続されます。
明治維新の本来の目的は、日本を近代国家として、西洋に認めてもらえる国にする事ですよね。西洋のような考え方を取り入れて、強い日本を作ろうと頑張ったわけですね。あんまり話すと日本史1の成績を披露することになるので日本史を語りたくはないのですが…
明治5年「マリア・ルス号事件」が起きます。
この船は、清国で200人以上の奴隷を買い、ペルーに帰ると途中、船が故障したため横浜で修理を受けてました。
その時、奴隷が一人脱走し、その奴隷はイギリス船に助けを求め、イギリスもこの奴隷の解放をペルーに主張しました。近代国家を目指す日本の裁判でも、この奴隷の解放を認めました。しかし、ペルー側から、日本には遊郭と言う奴隷制度があるくせに、ペルーの奴隷制度を認めないとは何事だ!と国際社会に主張されてしまったのです。
日本にとって痛恨の一撃でした。文明国を目指す国が人身売買してるなんてどうしようもないですもんね。この事件がきっかけとなり、政府は娼妓解放令を出し奴隷制度はなくなったよとしたわけですね。娼妓とは売春婦の事です。
でも、この事件があったから、いきなり売春は認めないじゃ、めちゃくちゃですよね。
それに売春を完全に取り締まるのは無理だという事は、江戸時代に証明されているわけだし。
結果、政府は人身売買は禁止するけど、売春は認めるという結論を出しました。
しかし、政府としては売春を直接扱えば世間に対してあまり良い印象を与えないだろうという考えが強かったので、地方や警察に売春を監視させるという流れを作ろうとしました。そして、一定の空間の内部に限定して、警察が取り締まれるとしました。
そして遊郭は、様々な地域に拡大していきました
「おわるんじゃねーのかよ!」と突っ込まれそうですが、この時点では、遊郭は終わりません。公認するけど国は関わりたくないって感じですね。地方と警察におしあてたがために、どんどん全国に拡散していき…そりゃ~そうですよね。売春をあっせんすることで商人だけでなく役人もウハウハなら広がっていきますよ…
拡大する遊郭の存在を世間に認めさせるために、「性病予防」という考えがあります。「性病の拡散を防止するために一定の地域で女遊びをしなさい」とすれば、世間からもある程度、認められることになりますしね。
しかも、娼婦の登録をすることで、把握することもできますし。